長くて暑かった今年の夏もやっと終わり、本格的に秋冬支度を始める時季ですね。
みなさま「衣替え」はお済みですか?
「衣替え」といえば、半袖から長袖へ、着替えるのがジョーシキ。
でも、その昔、和服

実はわたし、江戸時代に関する本を読むのが趣味のひとつ。
お江戸の政治や経済に興味があるわけではなく、もっぱら長屋に住んでいたような庶民(特に女性)が日々どう暮らしていたのか、を探究?しています。
お江戸本を読んでいると「江戸時代の人は賢いなあ~」と学ぶことや、「そんな素晴らしいエコなシステムが!」と驚く発見がたくさんあります。
で、「衣替え」なのですが。
そこには、たいへんな秘密が隠されていました~

和服の場合、夏は単衣(ひとえ・一枚)の着物、春秋は袷(あわせ・二枚)、冬は綿入れ(袷の間に綿をサンド)となります。
じゃ、それぞれ柳行李(昔のクローゼットケース)から出して衣桁(昔のハンガー)に掛け替えるだけでしょ?
何がたいへんなのさ~?
江戸時代の庶民はとても質素。そして、着物は絹物はもちろん、綿物も、たいへんな貴重品。
そりゃそうだ。手織りしかないんですから。ぜんぶ、ハンドメイド品ですから。
そのへんの話をし出すと長くなるので(夫曰く、見てきたように話す)触れずにおきますね。
ゆえに、人ひとりにつき、年がら年中、着物一枚が原則(下着は数枚あった)。
13歳から17歳まで、4年間も同じ着物を着ていた「おあむちゃん」については前に少し書きましたっけ。
あら、このときに昔の衣替えについても書いてたね(完全に忘れてるし)。
ともかく「衣装持ち」だったのは、ごく一部のお金持ちやお姫様、お嬢様だけ。
ちょっ、ひとり一枚しかないのに、どうやって衣替えするの?
ちょっと脱いで、その間に、母親や妻ら、女性陣が急いで縫うのです。
(わたしが調べた範囲では、そういうことらしいのですが・・・「いや、それは違う、こうだ」とご存知の方、いらしたら教えてくださいませ!)
その間は裸祭りです。男性はふんどし一丁。こどもはすっぽんぽん。女性は・・・どうしてたのかなあ?
江戸時代、裸は、基本的にノープロブレム。
銭湯から家まで、一家そろって裸で帰っていた、という嘘かホントかわからない証言(幕末に来日した外国人の日記)もあります。
夏⇒秋 単衣の着物に、とっておいた(または質屋に入れていた)裏地を付けて、袷の着物にします。
秋⇒冬 袷を、いったんほどいて、とっておいた(または質屋に入れていた)綿をほぐして袷の間に入れて
また縫い合わせます。
ちなみに縫い合わせる糸も貴重なので、捨てずに取っておいて再利用したそうです。
袷から綿入れに着替えるのは、旧暦の9月9日で重陽の節句(菊の節句)の日と決まっていました。
この日に家族全員の衣替えができないのは「女の恥」だったそうですよ。
今日、2013年10月13日は旧暦だと9月9日にあたります。
それで、今日、ぜひとも、このお話しを書きたかったの!
もし、150年ほど前に生まれていたら・・・今ごろ、綿まみれになっているかもね?
150年前の今日は・・・裸オヤジや、すっぽんぽんのこどもが、街を行き交っていたのかも?
ああ、江戸時代に生まれなくてよかった、江戸時代の衣替えに比べれば、今はらくらく・・・でも、ないよ。
逆に服が多すぎて、あふれかえってますからねえ。
どっちが幸せなんでしょうね?



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